プロフィール
  1. プロフィール
  2. スペアタイム
  3. 仕事を愛する理由

私ごとですが、中学校の頃から宮城真理子さんを尊敬し、大学卒業後は孤児院で働くことを夢見ていました。実際、卒業した年は孤児院には人員募集がなく、就職課の先生に人員募集のあった「知的しょうがい児施設」を勧められました。当初、とても古い建物の施設だったので、ずいぶん悩みましたが、実習中に出会ったダウン症の子どもとまた会えることを楽しみに勤めることに決めました。


そこでの6年間、自分の今まで生きてきた20年間のどの時間より素晴らしい時間を過ごすことになりました。全ては、そこで出会った子どもたちの心の純粋さと美しさのおかげです。しかし、その頃は、まだ、ティーチやABAのメソッドも取り入れることがほとんどなく、指導者たちが、思うままに、自分が信じる方法で子どもに関わっていたことが多かったのです。ときには、まちがった指導をしてしまう先生も現れ、その間違いすら修正不可能だった若かった自分がいて、ずいぶん悔しい思いをしたことも忘れられません。子どもたちはパニックという形で、指導者兼彼らの保護者であった私たちに訴えてきていました。当然のことでした。本当に、無我夢中で問題行動にも取り組みましたが、知識が薄かったので、まさに我が子を思う母のように、愛のみの対応でしかなかったのです。もっともっと知識があったなら、どんなに子どもたちは違った人生を送ることができたでしょう。


アメリカでの自分探しの旅の途中で、アメリカの進んだ特殊教育〔しょうがい児教育〕に出会っったときは、これこそ今の日本の知的障がいと言われる子どもたちに必要な教育だと思い、英語が話せる話せないを考えずアメリカに行きました。後々も、そのときの大胆さには、周りに驚かれるのですが、思い立つと、その方向のゴールしか見えない私です。アメリカでの勉強中は、自分が働いた日本の施設で出会った子どもたちのことを忘れる日はなく、新しい知識、メソッドを習う度、これだったんだ、これがあれば、あの子達を救えたのに。。。といつも新しい知識と彼らの顔を照らし合わせていました。


何が、こんなに自分を必死にさせるのか、彼らのことを思わせるのか、それは6年間の日本の施設で自閉症やダウン症の子どもたちの魅力でした。彼らと共に過ごしたこと、そして、私自身を変えてくれたこと、成長させてくれたこと、やはり、そのことが大げさでもなく、あの若かった私には衝撃的だったのだと思います。私を「生きていて楽しい」と思わせてくれた彼らに、私が生きている限り恩返しがしたいと、今、心から思っています。自分をここまで思わせてくれるあのときの子どもたち、今はもう会えないけれど、心の友として自分の中に、ずっといてくれます。この場を借りて、ありがとう、心からありがとう。


アメリカの大学院の障害児教育学科を修了してから、早9年が過ぎようとしています。今、はっきり分かることは、自閉症の彼らの可能性を育てるのか、摘み取ってしまうのか、それは、関わっていく指導者、大人たちにかかっているということです。以前に比べ日本も自閉症や発達障がいの子どもに対する意識が、ずいぶん変わりました。しかし、まだまだ自閉症の子どもたちは理解してもらえなく、誤解されて、周りの大人達から受け入れてもらえないことがあり傷ついています。関わり方で悩んだり、どうしていいかわからなくなった時は、保護者も、先生たちも専門家に相談しなくてはいけません。あるいは、専門書を読んだり、ウェブサイトでリサーチしても良いこたえが見つかるかもしれません。


自閉症、発達しょうがいの子どもたちは、知れば知るほどに奥が深く、驚くほどの才能を持っていて教えられることが多いです。これからも、この自閉症の子どもたちの魅力を少しでも多くの人に伝えていきたいと思っています。